汝、閲覧するなかれ

3分で読める散文詩。

神保町「古瀬戸珈琲店」

f:id:salada4646:20180614104952j:plain 音楽と風景が結びついて記憶される、ということはだれしもあることだろう。

私はよく音楽を聴きながら散歩をする。その地域にゆかりのある曲を、というわけではなくただ何となく聴きたい曲を聴く。

 例えば…みとせのりこの「銀色のライカ」を聴くと西武国分寺線の車窓からみえる景色を思い出す。

 amazarashiの「季節は次々死んでいく」を聴くと六本木駅からやや歩いた人気のない路地を思い出す。

 灰羽連盟のサウンドトラックを聴くとトルコのシリンジェ村を思い出す。

 全く違う場所でこれらの音楽を聴いても、何となく頭の中に刻まれた風景が思い浮かんでくるのである。

 

 時にそれは音楽に限った話ではない。

 私は喫茶店でよく暇を持て余し読書をする。するとどこで何の本を読んでいたか不思議と覚えてしまっていることがある。

 島田荘司の「異邦の騎士」は目白の「般若」で読んでいた。

 貴志祐介の「青い炎」は江古田の「トレボン」のたしか日当たりのいい席で読んでいた。

 フランクルの「生きる意味を求めて」は神田にある「高山珈琲」で難しいなあと顔を歪ませながら読んでいた。未だに読了できていないのは内緒である。

 

 はじめて神保町の古瀬戸珈琲店に行ったとき、私は絲山秋子さんの「袋小路の男」を携えていた。この本はピースの又吉さんが自著でおすすめしていた本だ。

 この本の中の「アーリオ オーリオ」という短編は心が温かくなるようなお話で、私はニタニタと気味の悪い笑顔を浮かべながら珈琲を啜っていた。

 温かい珈琲も合わさり心体ともにいい湯加減になったのを覚えている。

 

 某日、神保町に用事があったため久しぶりにこちらに訪れた。入るなり私が思い出したのは「あ、あの席で本読んでたなあ」ということだった。前とは違う席に座り違う景色を眺めてみるのもまた一興。

 ここはケーキの種類も豊富なので前は何かしらのケーキも頼んでいたことだろう。財布に住まう野口と相談し、本日は珈琲のみで我慢することにした。

 

 本日のサービスコーヒーはモカ。こちらをいただくことに決めた。

 モカはほんのり甘く、ほんのり苦い。飲みやすい味だ。

 値段もちょうどよく、あらためて気軽に立ち寄えるいい喫茶店だなと感じる。

 

 

 私は記憶力に自信があるわけではないし、覚えようとしても覚えられないことは多分にある。それでもここであの本を読んだことはずっと忘れない気がする。

 墓場まで持っていく記憶を選ぶことは人間、少なくとも私にはできないのかもしれない。