野方「無垢」
ひょんなことから見知らぬ人にコーヒーを奢ってもらったことがある。
野方にある喫茶店「無垢」。レンガと木目調の温もりとレトロ感あふれる喫茶店だ。私もかなりお気に入りの喫茶店である。
その人は70歳くらいと思われる女性だった。お店の入り口で店内の様子をうかがっているようだった。
私は「おや、満席なのかな」と思った。時刻は日曜のティータイム。満席でも無理はない。
私が近寄ると老婦人は「満席みたいですよ」と伝えてくれた。
あちゃーと思った。しかしせめて中の様子くらい見ておいてもいいだろう。
「そうでしたか…(しょんぼり)」と言いながら無垢のドアを開けた。
中はやっぱり賑やかだった。
ああ、こりゃ無理かなーと悲しい表情をしていたら店員のお姉さんが「カウンター席ですがよろしいですか?」と声をかけてくれた。
いやもうそりゃオッケーです。座れりゃどんな席でもいいです。
カウンター席を見るとお誂え向きにちょうど二席空いていた。
私は外へ出て先ほどの老婦人を中に招いた。空いているのはカウンターの二席なので私たちは隣り合って座る形になった。
注文を済ませると老婦人は孫が大学に行ったという話をしてくれた。
あと昔は雑司ヶ谷に住んでいたという話。
池袋は昔はあんなに栄えていなかったという話…。
申し訳ないけどあまり興味を引く話題ではなかった。
ただ、私は話を聞きながら「この人は話したいんだ」と思っていた。
それは自分自身のはなし。
どんな本にもネットにも載っていない自分の人生のはなし。
今まで経てきた時間、見てきた景色、培った経験。
インプットは容易いがアウトプットできる機会は思ったより少ない。
親しい間柄の人にこそ「自分はどこそこで暮らしてて」なんて改まって話しづらいだろう。
そういった意味で見ず知らずの関係のほうが話しやすいのかもしれない。
幸い私は人の話を聞くことを苦に感じないタチだ。
さあ、どんと来い。
三十分くらいすると老婦人はお会計を済ませ帰っていった。
私はその後ノートに落書きしたり、のらりくらりと時間を過ごした。
しばらくして頃合いを感じ取り、帰り支度をする。
この店ではコーヒー一杯くらいなら伝票を渡されないこともあるのでそのままレジに向かう。
レジのお姉さん「お会計はいただいてます」
正直なんとなくそんな気はしていた。
それでも気持ちが晴れやかになるのを感じた。いいこともたまにはあるんだなと。
これも無垢がいい喫茶店であるから生じたエピソードに他ならない。
本来ならもっと水出しコーヒーが美味しいとか、店員のお姉さんが綺麗とか話したいことはあるけれど、それはまた別の話。
今回は私の人生のアウトプットとして筆を置きたい。
明日の話はとにかく嫌い、将来の話はもっと嫌い
amazarashiのライブツアー『地方都市のメメント・モリ』に参加してきた。私がamazarashiのライブに行くのは四年ぶりであった。
場所は中野サンプラザ。イヤでもサングラスにスキンヘッドの人を連想してしまう場所である。
久しぶりのライブで思うことがあった。
秋田さんのテンションがやたら高い。
いつも始まって早々に簡単な自己紹介があるのだが、今までの私の記憶では「青森から来ました…amazarashiです」と朴訥とつぶやくイメージだった。
しかし今回は、
「青森から来ました!amazarashiです!」
というスポーツ選手が選手宣誓をするかのような声だった。
今回がツアーファイナルだからなのかは分からないが、強く心を掴まれるのを感じた。
セットリストの一曲一曲にコメントしていくとキリがないので省略するが、端的に言って素晴らしいライブだった。
気になったのは季節外れであるにもかかわらず「冬が来る前に」が演奏されたこと。この曲に続くのが友人ハルキとの夏の日々を歌った「ハルキオンザロード」。
二度と来ないものを待っている、昨日が来るのを待っている
この一節はハルキと過ごした日々のことを歌っているのだろうか。
このハルキという人物は他界してしまったのではないか、という解釈をしている人もいる。そうだとすれば二度と来ないもの=ハルキと考えることもできる。
…が、歌詞の世界観とアーティストの私生活をつなげるのはなんだか野暮な気もする。考察は各々にお任せしよう。
あとはMCについても振られておきたい。
秋田さんは軽妙なトークをするタイプではない。それでも真摯に選び抜かれたまっすぐな言葉は胸に突き刺さる。
「死にたい夜を越えて、歌いに来ました」
死にたい夜が訪れることがある。秋田さんにも私にもあなたにも。
もしかしたら私の乗り越えた夜とほかの誰かが乗り越えた夜はつながっているのかもしれない。そういう夜乗り越え組にしか見えない情景というのがあって、そこにあるのがamazarashiなんだと思う。
私からも言わせてもらおう。
死にたい夜を超えて、あなたの歌を聴きにきました。
「また必ず生きて会いましょう」
太宰治は著書『葉』の中で「死のうと思ってたけど夏用の着物もらっちゃったから夏まで死ねねえや」というようなことを言っている。
私は11月の武道館ライブに行くことが決定した。
死ねない理由ができた。
祖師ヶ谷大蔵「それいゆ」
いい一日とはいい朝食から始まる。
私がそんな風に考え始めたのは旅行をよくするようになってからである。
旅館の朝食は華やかでおいしい。
ホテルの朝食ビュッフェは自由さにワクワクする。
目の前に差し出されたごちそうを味わいながら「さて、今日はどこに行こうか」などと考えるのだ。これほどまでに優雅な時間の過ごし方を私は他に知らない。
こちらの喫茶店ではモーニングの時間帯なら珈琲一杯の値段でトーストかサンドイッチがもれなくついてくるのである。鬼のコストパフォーマンスだ。
店内にモーニング用のメニューは載ってないため知る人ぞ知るメニューなのかもしれない。
ちなみにこちらのアイスコーヒーはダッチコーヒーという。ウォータードリッパーで抽出されたすっきりした味が特長で、ミルクがよくなじむ。入れ過ぎに注意されたし。
朝に人々はあちらこちらへせっせと移動する。
時間という魔物にムチ打たれ目的地へ最短距離で進んでいく。
そんな中ゆっくりとサンドイッチを味わってみるのは、なんとも贅沢な時の使い方ではなかろうか。
忙しいうちが華、という言葉がある。
何を言う。のんびりしてても掴める華はあるのだ。
神保町「古瀬戸珈琲店」
音楽と風景が結びついて記憶される、ということはだれしもあることだろう。
私はよく音楽を聴きながら散歩をする。その地域にゆかりのある曲を、というわけではなくただ何となく聴きたい曲を聴く。
例えば…みとせのりこの「銀色のライカ」を聴くと西武国分寺線の車窓からみえる景色を思い出す。
amazarashiの「季節は次々死んでいく」を聴くと六本木駅からやや歩いた人気のない路地を思い出す。
灰羽連盟のサウンドトラックを聴くとトルコのシリンジェ村を思い出す。
全く違う場所でこれらの音楽を聴いても、何となく頭の中に刻まれた風景が思い浮かんでくるのである。
時にそれは音楽に限った話ではない。
私は喫茶店でよく暇を持て余し読書をする。するとどこで何の本を読んでいたか不思議と覚えてしまっていることがある。
島田荘司の「異邦の騎士」は目白の「般若」で読んでいた。
貴志祐介の「青い炎」は江古田の「トレボン」のたしか日当たりのいい席で読んでいた。
フランクルの「生きる意味を求めて」は神田にある「高山珈琲」で難しいなあと顔を歪ませながら読んでいた。未だに読了できていないのは内緒である。
はじめて神保町の古瀬戸珈琲店に行ったとき、私は絲山秋子さんの「袋小路の男」を携えていた。この本はピースの又吉さんが自著でおすすめしていた本だ。
この本の中の「アーリオ オーリオ」という短編は心が温かくなるようなお話で、私はニタニタと気味の悪い笑顔を浮かべながら珈琲を啜っていた。
温かい珈琲も合わさり心体ともにいい湯加減になったのを覚えている。
某日、神保町に用事があったため久しぶりにこちらに訪れた。入るなり私が思い出したのは「あ、あの席で本読んでたなあ」ということだった。前とは違う席に座り違う景色を眺めてみるのもまた一興。
ここはケーキの種類も豊富なので前は何かしらのケーキも頼んでいたことだろう。財布に住まう野口と相談し、本日は珈琲のみで我慢することにした。
本日のサービスコーヒーはモカ。こちらをいただくことに決めた。
モカはほんのり甘く、ほんのり苦い。飲みやすい味だ。
値段もちょうどよく、あらためて気軽に立ち寄えるいい喫茶店だなと感じる。
私は記憶力に自信があるわけではないし、覚えようとしても覚えられないことは多分にある。それでもここであの本を読んだことはずっと忘れない気がする。
墓場まで持っていく記憶を選ぶことは人間、少なくとも私にはできないのかもしれない。
銀座「十一房珈琲店」
銀座にあるパスタ屋「あるでん亭」の絶品アリタリアで腹を満たし、ブラブラと街を歩く。時刻は14時、日差しは強い。通りに並ぶ上等なスーツの仕立て屋を眺めていると、「私もいずれこんなお店の常連になってやる!」とやる気が向上してくる。高みを目指すものというのは上流階級を見てモチベーションを上げるのだ。
5分歩いてそんなことよりカラオケに行きたくなった私は、カラオケパセラでヒトカラをたしなむことにした。ヒトカラではいつもamazarashiばかり歌っているので、店から出る頃にはすっかりのどが枯れてしまっている。お店でもらった飴でのどを癒し、また歩きはじめる。
銀座にはまだ私の行ったことのない喫茶店がいくつもある。今日はその中のひとつ「十一房珈琲店」に向かった。
ドアをくぐると珈琲のいい香りに出迎えられる、いい店に入ったなと思う瞬間だ。
店内は奥に長く、数席のテーブル席と広いカウンター席がある。私は1人なのでカウンター席に案内された。
メニューは普通のブレンドでも600円ちょっと。銀座界隈では安いほうではないだろうか。外の暑さがこたえたのでアイスコーヒーを注文する。
注文してから店員さんが大きな四角いロックアイスを取り出し、アイスピックで砕きはじめた。いつも思うがあれで手をグサリとやらないのだろうか?
出されたアイスコーヒーは丸みのあるグラスで提供された。縦長のグラスやワイングラスの方が多いためちょっと珍しく思う。
まず一口何も入れずいただく。
あ、美味しい。
しっかりとした苦味があるがエグ味がない。エグ味がないので後味がスッキリしている。これはシロップやミルクがなくてもそのままで飲めるやつだ。
とは言っても私はミルクもシロップも入れる派である。
何故なら甘い方が飲みやすいからだ。
私にとって美味しい珈琲とはフレンチローストの深煎りであり、MAXコーヒーであり、雪印のコーヒー牛乳なのだ。
こんな情緒もへったくれもない味わい方だが、最初の一口は必ず何も入れず味わうことにしている。それが舌の肥えていない者のささやかな感謝の証として。
以上、十一房珈琲店のレポートはここまで。
珈琲の味にうるさい方でも満足のいく味だと思うので、銀座に用がある方は足を運ばれてはいかがだろうか。
仲間を探したい
神聖かまってちゃんの楽曲「仲間を探したい」を聴いた。
このサビのストレート過ぎる訴えは心にくるものがあった。
そうだよな、仲間なんだよな。
スティーブ・ジョブズにはウォズニアックという仲間がいた、だからこそ成功できた。
小淵沢報瀬も三人の仲間がいたから南極に行くことができた。
あのロトの血を引く勇者でさえ仲間がいなければ魔王を倒せないのだ。(1では一人でりゅうおうに挑んでいたが)
仲間が増えていくワクワク感をいつの間にか忘れてしまっていた。
仲間が欲しいじゃない、探すんだ。
そうと決めた私はAmazonで「仲間 イケてるやつ」と入力してみた。
結果は芳しくなく、候補は1人しか現れなかった。
まあそんなもんかとがっくりはしたがとりあえず商品紹介に目を通した。
「元気ハツラツ21歳、テニスサークルのお調子者!三度の飯より飲み会が好きでコールをさせれば盛り上がること間違いなし!」
だめだ、眩しすぎる…。
コールのある飲み会など行ったことがないし、そもそも私は下戸なのだ。
なんでも揃うがウリのAmazonでも仲間は手に入らないのか。
ならばどうするか。
そうだ。ブログをはじめてみよう。
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