汝、閲覧するなかれ

3分で読める散文詩。

野方「無垢」

f:id:salada4646:20180724193838j:plain ひょんなことから見知らぬ人にコーヒーを奢ってもらったことがある。

 

 野方にある喫茶店「無垢」。レンガと木目調の温もりとレトロ感あふれる喫茶店だ。私もかなりお気に入りの喫茶店である。

 その人は70歳くらいと思われる女性だった。お店の入り口で店内の様子をうかがっているようだった。

  私は「おや、満席なのかな」と思った。時刻は日曜のティータイム。満席でも無理はない。

 

 私が近寄ると老婦人は「満席みたいですよ」と伝えてくれた。

 あちゃーと思った。しかしせめて中の様子くらい見ておいてもいいだろう。

 「そうでしたか…(しょんぼり)」と言いながら無垢のドアを開けた。

 

 中はやっぱり賑やかだった。

 ああ、こりゃ無理かなーと悲しい表情をしていたら店員のお姉さんが「カウンター席ですがよろしいですか?」と声をかけてくれた。

 いやもうそりゃオッケーです。座れりゃどんな席でもいいです。

 

 カウンター席を見るとお誂え向きにちょうど二席空いていた。

 私は外へ出て先ほどの老婦人を中に招いた。空いているのはカウンターの二席なので私たちは隣り合って座る形になった。

 

 注文を済ませると老婦人は孫が大学に行ったという話をしてくれた。

 あと昔は雑司ヶ谷に住んでいたという話。

 池袋は昔はあんなに栄えていなかったという話…。

 

 

 申し訳ないけどあまり興味を引く話題ではなかった。

 ただ、私は話を聞きながら「この人は話したいんだ」と思っていた。

 

 それは自分自身のはなし。

 どんな本にもネットにも載っていない自分の人生のはなし。

 今まで経てきた時間、見てきた景色、培った経験。

 インプットは容易いがアウトプットできる機会は思ったより少ない。

 親しい間柄の人にこそ「自分はどこそこで暮らしてて」なんて改まって話しづらいだろう。

 そういった意味で見ず知らずの関係のほうが話しやすいのかもしれない。

 幸い私は人の話を聞くことを苦に感じないタチだ。

 

 さあ、どんと来い。

 

 

 三十分くらいすると老婦人はお会計を済ませ帰っていった。

 私はその後ノートに落書きしたり、のらりくらりと時間を過ごした。

 しばらくして頃合いを感じ取り、帰り支度をする。

 この店ではコーヒー一杯くらいなら伝票を渡されないこともあるのでそのままレジに向かう。

 レジのお姉さん「お会計はいただいてます」

 

 正直なんとなくそんな気はしていた。

 それでも気持ちが晴れやかになるのを感じた。いいこともたまにはあるんだなと。

 これも無垢がいい喫茶店であるから生じたエピソードに他ならない。

 

 本来ならもっと水出しコーヒーが美味しいとか、店員のお姉さんが綺麗とか話したいことはあるけれど、それはまた別の話。

 今回は私の人生のアウトプットとして筆を置きたい。