汝、閲覧するなかれ

3分で読める散文詩。

明日の話はとにかく嫌い、将来の話はもっと嫌い

f:id:salada4646:20180628100108p:plain amazarashiのライブツアー『地方都市のメメント・モリ』に参加してきた。私がamazarashiのライブに行くのは四年ぶりであった。

 場所は中野サンプラザ。イヤでもサングラスにスキンヘッドの人を連想してしまう場所である。

 

 

 久しぶりのライブで思うことがあった。

 秋田さんのテンションがやたら高い。

 いつも始まって早々に簡単な自己紹介があるのだが、今までの私の記憶では「青森から来ました…amazarashiです」と朴訥とつぶやくイメージだった。

 しかし今回は、

 

「青森から来ました!amazarashiです!」

 

というスポーツ選手が選手宣誓をするかのような声だった。

  今回がツアーファイナルだからなのかは分からないが、強く心を掴まれるのを感じた。

 

  セットリストの一曲一曲にコメントしていくとキリがないので省略するが、端的に言って素晴らしいライブだった。

  気になったのは季節外れであるにもかかわらず「冬が来る前に」が演奏されたこと。この曲に続くのが友人ハルキとの夏の日々を歌った「ハルキオンザロード」。

  

 

二度と来ないものを待っている、昨日が来るのを待っている

 

  この一節はハルキと過ごした日々のことを歌っているのだろうか。

 このハルキという人物は他界してしまったのではないか、という解釈をしている人もいる。そうだとすれば二度と来ないもの=ハルキと考えることもできる。

…が、歌詞の世界観とアーティストの私生活をつなげるのはなんだか野暮な気もする。考察は各々にお任せしよう。

 

 あとはMCについても振られておきたい。

 秋田さんは軽妙なトークをするタイプではない。それでも真摯に選び抜かれたまっすぐな言葉は胸に突き刺さる。

 

「死にたい夜を越えて、歌いに来ました」

 

 死にたい夜が訪れることがある。秋田さんにも私にもあなたにも。

 もしかしたら私の乗り越えた夜とほかの誰かが乗り越えた夜はつながっているのかもしれない。そういう夜乗り越え組にしか見えない情景というのがあって、そこにあるのがamazarashiなんだと思う。

 私からも言わせてもらおう。

 死にたい夜を超えて、あなたの歌を聴きにきました。

 

「また必ず生きて会いましょう」

 

  太宰治は著書『葉』の中で「死のうと思ってたけど夏用の着物もらっちゃったから夏まで死ねねえや」というようなことを言っている。

 私は11月の武道館ライブに行くことが決定した。

 死ねない理由ができた。